2024.4.28

燃える

 

 復活された主イエスが自らを隠して、二人の弟子たちと行動を共にされた。

11キロの距離だから3時間くらいだろうか。

ルカの福音書24章にあるエマオ途上の出来事である。

 

 他の弟子たちも含めて主イエスの復活が信じられない。

だからといって、復活されてすぐに自らを彼らにお示しにはならなかった。

 

 どうされたのだろう。

「それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。 」(27) 

結果、二人の弟子たちの心に変化が生じた。

二人は話し合った。

「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」(32)   

聖書が説き明かされれば、燃えるのである。

みことばが正しく説き明かされるように祈ろうではないか。







聖書 新改訳2017© 2017 新日本聖書刊行会)












2024.4.6

 

主イエス・キリストの交わり

 

 教会は、交わりを大切と考えている。使徒信条では、「聖徒の交わり」という条文がでてくる。コリント人への手紙第一1章9節には、「神は真実です。その神に召されて、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられたのです。」とある。

 

 ここでの「神に召されて」とは、救われる意味である。「召す」は英語では、「calling」である。「呼び出し」の意味であることに気がつく。今や世界には、80億人に近づいてきている。その世界中から「呼び出して」、救いの中に招き入れてくださるのである。

 

 その目的は、「私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れ」るためであった。「交わり」とは、双方向の関係である。愛す、愛される関係と言えばよいのだろうか。聖書の神は、人格神である。私たちの祈りを聞かれる方である。神はことばを持って御心をお示しになられる。主イエスとの交わりを通して、私たちの信仰がより高くに引き上げられるに違いない。







聖書 新改訳2017© 2017 新日本聖書刊行会)